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それぞれの「遥かなる約束」って、あるよね…
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○ 先週の金曜日(11月24日)、大学のミニ同窓会へ出席し、30年近く合っていなかった友人たち、そして若いときには話す機会の少なかった後輩たちと会って、とても感激したのである。延べで11人も参加し、年齢的には僕が上から2番目だった。入学年次で言えば、自分が一番上で、卒業年次からする「そうでもない」のは、私が2年間も留年を余儀なくされたからだ(卒業後、10年間ほどは「また、留年なのかあーっ」という夢を見て目を醒ましたものだ)。

○ 50歳を越えた学友たちが、半数以上を占めていた。それぞれの個性は変わっていないし、無邪気な表情に「元気」をいただいた。日常的な毎日が、時を超え、あの頃の純真な気持ちに立ち返るひと時だった。あの頃、みんなで約束し合ったこともある。11月25日(土)にフジテレビで放送された「遥かなる約束」ではないけれど、「約束の奇跡」か「奇跡の約束」か、そんな約束が一度だけの人生だもの、あっていいと思うのだ。堅実的生活、保身とはまったく無縁な一時期を共に過ごした事実は重い。

○ ところで、「遥かなる約束」のソビエト連邦やロシアについては、Mくんが1年ほどソ連に留学していたことを、僕は初めて知った(おそらく、知っていたけれども忘れてしまったに違いない)。「いや、途中で呼び戻されたから10か月ぐらいだったろう」という声があり、僕がすかさず「十月十日(とつきとおか)かあー」と応じたら、けっこう「うけた」のである。来年早々に86歳となる父は、いったんはシベリアへ送還されたが負傷兵と一緒に、あるときは毛沢東軍にもぐり込み、朝鮮半島をめざし、敗戦前まで軍務についていたピョンヤンでは金日成の軍に紛れ込んだりして、いち早く帰国を果たしたと聞く。

○ 軍隊時代には「麻酔がもったいないから、なしで切る」と軍医に言われての盲腸手術、「あれは人生で最高に痛かった」と述べていたし、シベリアからの逃亡生活も悲惨な経験であったに違いない。途中で、父の「帰国するぞ」という自分との「遥かなる約束」、それなしに今の僕はない。さて、父が元気なうちに「ぜひ取材をしておきたい」と思っているのだけれど、「父にだって、お墓まで黙って持っていきたいこともあるだろう」と、ためらっているのが正直な気持ちである。そんな僕も実は10日間ほど、仕事で崩壊寸前のソ連へ出かけたことがある。遅い結婚が決まりかけていた時期だった。あれから20年も過ぎたことになる。ヤレヤレ、人の道とは厄介なものだなあ。
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