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弁護士のお姉さんについて |

('99/5/6)最近のテレビ番組から(2)
▼ 1999年4月26日、午前0時45分からのNTV「ドキュメント99」という番組には、度肝を抜かされ「現実は小説より奇なり」という意味でも圧倒されました。関西の大平光代弁護士に関するドキュメントでした。
▼ 新聞のテレビ番組欄を見ていて、これは見なければいけないとチェックしていたのですが、ビデオに撮っておけば良かったのに、と後悔するほどの驚くべき内 容であり、テレビというメディアの可能性はもちろん、読売新聞と日本テレビは嫌いなのですが(僕は大の阪神タイガースファンである)、「おう、おう、読売 新聞購読してやろうじゃないの!10年分でもいいよ!」、というほどに感激しました。
▼ 彼女は、中学の時にひどいいじめにあって、近くの河原で割腹自殺をはかりましたが、偶然そこを通りがかった人に助けられました。その後、不登校、非行に 走って、両親からは絶縁(勘当)され、荒れに荒れた末、15歳にして暴力団組長の妻となり、背中には一面墨を入れました。後援会で、「私は、こうして極妻 (極道の妻)になりました」と語る口調と、凛(りん)とした品格のある表情には迫力がありましたよ。
▼ そんなある日、道で実父の知り合いに呼び止められ、こんこんと説教をされたとのことです。無視しようとしたけれど、何度も、何度も説得され、転機になっ たのは喫茶店で、彼女が学校や友達、世間への恨み辛みを言ったら、「たしかに世間も悪いが、そこから立ち直ろうとしないお前も悪い」と大きな声で、真剣に 怒鳴りつけられたからであったと言います。21歳のときにそれまでの生活から足を洗い、実父の知り合いを養父として立ち直ろうとしましたが、なかなか思い 通りにいかず、「やっぱり、私はあの子たちに復讐したい。とても忘れることはできない」と弱音をはくと、養父は「復讐したらいい、でもその仕方はいろいろ あるんとちゃうか」と言ってくれ、そこから勉強が始まったのです。
▼ 中学校からの勉強をやりなおし、宅建、司法書士と難関の試験を突破して、ついに司法試験に挑戦しようとしました。ちょうど、そのころ実の両親との関係も 修復していた時であり、実父は末期ガンにかかっていたそうです。弁護士バッチを見せてあげたい、という強い想いもあったようで、見事一発合格。実父は、 「オレは、いい子どもを持って幸せだ」「一緒に写真を撮ろう。その写真をお墓に持って行くんだ」と語ったとのこと。
▼ その話しをしながら、「荒れていた頃の私は、自分のことしか考えられなくて、ひどい子どもでした。実は父を蹴ったりもしたのですよ。まだまだ恩返しがしたかったのに…」と涙ぐんでおりました。
▼ それからの大平さんは、主に少年犯罪の稼ぎの悪い仕事と言われている国選弁護人として、誠心誠意の仕事に明け暮れていますが、10人の少年事件を扱い、そのうち1人ぐらいしか立ち直らせることはできず、時々むなしくなることもあるそうです。
▼ 取材中に扱っていた少年Aくんは、、両親が離婚し祖母との二人暮らし、仕事先を抜け出してお金に困ると祖母から調達していたらしく、そのことを「本人のためにならないから、絶対やめるように」と大平さんは、喫茶店で厳しく言い聞かせている場面もありました。
▼ 少年Aくんは、大平さんの弁護により少年院行きは猶予されたのですが、紹介された会社の寮を抜け出し、出勤せずに以前の不良仲間とつき合い、あげくの果てに自分の彼女に暴力を振るって、被害届を出され少年院送りになってしまいました。
▼ 現在33歳の大平さんは、府内のマンションに実母と二人暮らし。学校崩壊に悩む先生方の集まりに呼ばれ、自分の体験をとおした講演も引き受けるようにな り、今回の取材の話しがきたそうですが、自分の恥ばかりではなく、両親の恥をさらすことにもなるので、「どうしようか、お母さん」と聞いてみたら、意外な ことに「テレビに出てもいいよ。あんたの経験を見て、一人でも死のうとする子どもが減れば、それだけで価値があると思うわ」と言ってくれたそうです。
▼ そして、番組の最後の頃になり、自宅で後ろ向きになって、サッとブラウスを下ろした(脱いだ)わけですが、「エーッ!そこまでやるの!」と僕は本当に ビックリしました。そこには、彼女の横顔、うなじ、そして細い背中一面の入れ墨でした。最近の僕の感動体験としては、こんなに大きなものは久しぶりのこと で、「自分という人間は、一体何をしてるんだろう!情けないったら、ありゃしない。」と思いました。と同時に、「僕は、もっと真剣に生きなければいけな い。」と勇気づけられました。
