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モラルハザード
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1999年7月10日―by 水元正介

▼この頃、何とも軽はずみな事件が多く、僕は義憤に耐えない気持ちでいっぱいである。1つ目の事例は、子どもが2人乗車していた車を盗み、泣きわめく幼児をダムに突き落とし、その内の1人を死亡させたという男性が逮捕された。
 自分の車を持っていながら、その車が欲しかったので盗むというは、余りにも思慮に欠けている。欲しい車を手に入れたければ、自分の財政状況をふまえ、買 い換えたり、自動車ローンを組むなどして、自分の責任の負える範囲で買えばいいのであり、それが無理ならば諦めるしかない。誰から教わることでもないが、 人間には「分相応」という常識的な判断があるというものだろう。
 たとえ、目の前に自分の欲しいモノがあっても、それを手に入れるには相応の手続きが必要なのである。それを省略し、「今、手に入れなければ気が済まな い」という衝動的な行動をとってしまうのは、人間として未成熟すぎること、さらには車を盗むにしても「時、場所、状況」ぐらいは考えてもいいはずなのに、 あまりにも「動機」が単純すぎると言わざるを得ない。
 その結末をみると、単なる車の窃盗という犯罪行為で済むべきことが、「窃盗、拉致、幼児傷害・殺人」という極悪非道な犯罪になってしまい、判決は当然にも極刑が予測されるので、何ともばかばかしい話ではないか。
 それから、ダムは水を貯めて、発電、治水、農・工業用水、水道水の安定的確保等に用いられものであり、決して子どもを捨てるような場所であってはならないことを強調しておきたい。

▼この事件には、「小さな子どもを残し、車から離れた親にも責任がある」という別の側面からの問題もあると考えられる。
 ここ何年か、主婦もしくは夫婦でパチンコに夢中になり、子どもを車の中に長時間放置したことによって、窒息、火災、あるいは脱水症状などで死亡した事件が連続して発生した。
 なるほど、パチンコは刺激性やギャンブル性に富み、癖になるほど面白いものだが、わが子を駐車場の車内へ置き去りにしてまでやるものだろうか。普通の感 覚ならわかることだし、周りの人々も注意するはずだと思うのだが、パチンコ店を訪れる人たちは、結果的にそれぞれが貴重な資金を奪い合うライバル同士とい う関係もあって、自分しか見えていないという関係があるからかも知れない。

▼第2の事例では、親子3人で外出し、昼食時になって幼子が眠っていたので、コインロッカーに預け、ランチを食べていた夫婦が戻ってみると、「この中に赤ちゃんがいる」と大騒ぎになっていて、駆けつけていた警察から厳しい注意を受けたという出来事である。
親や親戚が近くにおらず、核家族が進んでいる状況、さらには赤ちゃんが産まれれば気兼ねなく外出することもできなくなって、たまの休日に夫婦水入らずで食事でもするか、という気持ちは理解できないこともない。
 また、赤ちゃんを伴ってランチを食べるには場所的な制約があり、僕の経験ではファミリーレストランを除き、飲食店側としては「招かざる客」と思っている ようである。8年ほど前、当時2歳の息子を連れて箱根駅前の食堂へ入ったら、店員から思い切り迷惑がられたことがり、とても不愉快な想いをした。
 あの店員は特別に性格も悪かったのであろうが、食堂などの飲食店ではお昼どきが稼ぎどきであり、お客の回転率が勝負になるわけで、そんな時間帯に、幼子を伴った家族連れに来られては困るのであろう。
 たしかに、「食べこぼす」「じっとしていられない」「楊子やお箸をいじりまわす」「泣き叫ぶ」、あげくの果てに「ウンチ、おしっこ」などと、周りのお客 さんも嫌がるに違いないが、店員にとっては大切なお客様である。そこをうまくとりなすべきなのに、嫌な顔をされたらたまらないのである。それからというも の、子どもが分別がつくようになるまで、外食はファミリーレストラン以外行かないようにしていた。
 だからといって、子どもが寝入っていることをよいことに、ここは夫婦水入らず、コインロッカーに預けるというのは、まったくの非常識であり、これをモラ ルハザード(モラルの崩壊)と呼ばずして何と呼んだらいいのだろう。僕は、「事故にならずに良かった」では済まされない「心の退廃」を感じるのである。

▼3つ目の事例は、6月中旬、主婦がご主人の出張中に愛人と過ごすため、2歳の子にはおにぎり10数個、生後4か月の子には哺乳瓶1本分のミルクをあずけ て一夜放置し、翌日の昼頃に帰宅したら下の子が死んでいた、という無惨な事件である。取り調べに対して、彼女は「以前も同じようなことがあって、大丈夫 だったので…」と供述したという。
 これもまた、つかこうへい氏が『熱海殺人事件』で描いたモチーフ以上に、死に至らしめた動機の軽薄さや内面的な背景のなさだけが印象に残り、何やら空恐 ろしい気がするのである。貧乏、差別、虐待、抗争、怨念などの欠片(かけら)もなく、さらには狂気ですらないことが余計に不気味である。
 そもそも、不倫とは当人同士にリスクがあるからこそ、熱く燃えるものなのだろうが、そのことによって幼子を死に至らしめることは明らかな犯罪行為であ る。また、不倫という言葉には、本来、自分たちが社会から孤立することを覚悟の上で、モラル(倫理)に反抗していくという力強い意味合いがあった。しか し、今回の事例は悲しいかな、まさに不倫ではなく無倫(倫理がない)なのであり、モラルハザードの典型といってもいいだろう。 この3つの事件は、何を物 語っているのだろうか。
 かえりみれば、カミュは「太陽がまぶしかったから」という殺人の動機で、「不条理」をたくみに描いたけれども、第二次世界大戦で戦場になったヨーロッパの虚無感や喪失感などが、その背景として存在したと考えられるのだ。
そして、モラルそのものは歴史的・地域的に構築されたものであり、継続的にメンテナンスされなければ、容易に崩壊してしまうものなのだ、ということがわか る。戦争など少しも知らない僕ではあるが、日本におけるモラルハザードの現状を考えると、ある種の「精神的な敗戦」を迎えているのかも知れない、と思っ た。

* 7年も前に書いたことだけれど、2006年の状況は、ますます凄惨な事件が多くなっている。自殺が日常化し、子殺し、親殺し、いじめなど、どーなっているんだよニッポン!
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