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じゃがいもの思想(下)−('99/8/13)
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* 栃木県の道の駅「二宮」に建立された青年の二宮金次郎像

▼ というわけで、じゃがいもが「コロッケ」「ポテトサラダ」「ポテトチップス」など、お年寄りからお子さんに至るまで愛好され、じゃがいも自身の姿かたちを変えながら、けなげに生きてきた事実に僕は感動するのである。
 最後に、さつまいもとも共通することでは、多収性のほかに地下に根を張って育つことがあげられ、哲学の分野においても『ツリー構造・セミラティス構造からリゾームへ』というコンセプト(概念)が、一時期たいへん注目されたことがある。

▼ それを簡単に述べれば、ものごとや人間関係、組織、事業など、これまでは目に見える部分が重視されてきたけれども、近年では土の中(目に見えにくい場 所・空間など)に網の目のように根を伸ばしながら、種子(成果)を実らせる形態、たとえばインターネットに似たものが大切になっているということである。
 テレビドラマ『ラビリンス』の主題歌が、CDランキングの上位に顔を出し、かなりの人気である。聞き手に… ♪この巣にかかる愛だけを食べて あの子を逃がした♪ というフレーズが強い印象を与えたものと思われ、「関係性の網の目の中に漂う私」、つまりは「じゃがいも」みたいな存在形態が、にわかに脚光を浴びてきたのかも知れない。
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じゃがいもの思想(中)−('99/8/13)
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▼ ところで、僕は上京してから約28年もたってしまったが、その間にじゃがいもの意図せざる自己革新というものに、ハンバーガーショップ、居酒屋、ファミ リーレストランななどで幾度も出会い、「じゃがいもはエライ!」と思ったし、「どうしたんだ、こんな変わり果てた姿になって!」と同情もしてきた。
 そこで、じゃがいもの性格を僕なりに規定してみたい。

第1に、じゃがいもは食糧であり、同時に分割できる種子である。
第2に、加工性が非完結的である。
第3に、安価で大衆的である。

 当然、「さつまいもだって、そうじゃないか」とご指摘の方もいることだろうが、過度な甘さと粘着性(ベタベタする感じ)といったものがあり、「さつまいも関連商品」の連鎖性や波及性に限界をもたらしている。変幻自在な「じゃがいも」とは、決定的な差異がある。

▼ また、さつまいもは第3の点、つまり安い値段と幅広いみなさんの支持という面で、じゃがいもに負けている。(注)
 身近な例をとれば、今や石焼きいもは高いものと受けとめられ、需要は下降の一途をたどっているし、冬場の寒い時期に限定されているのに対して、フライド ポテトをはじめとするじゃがいも消費量の伸びは、外食産業を中心に著しいし、四季を問わない需要網が拡張し続けている。
 たしかに、さつまいもも「いも焼酎」という形で復活し、健康志向の追い風を受けて酒場や家庭での焼酎の定着に貢献したのであり、古くは日本が食糧で困っていた時期に果たした役割だって忘れてはいけない。
 しかし、地球的に見れば、さつまいもは地域限定的な農作物であり、一方のじゃがいもは冒頭の堀田氏も述べているとおり、極めてグローバルな農産物であるという優位性も強調しておきたい。

(注)僕が育った時代、さつまいもはとても身近なものであり、食べ方も「ふかしイモ」、今では高価になってしまった茨城名産の「干しイモ」、さらには 臼でつき長方形に整えてから、高野豆腐のようにワラで編んで乾燥させる「イモもち」など、子ども用おやつの定番であった。
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