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目を閉じて素振りをしています

ゴルフでもイメージトレーニングが大切ですね。

目を閉じて、自分の身体を頭の中に思い浮かべ、ゴルフスイングをさせてみると、思うようにいきません。ずっとギクシャクしたスイングにしかなりませんでした。

そこで、かがみの前でのイメージトレーニングをしてみましたが、やっぱりダメでした。

ハエ叩きとか、布団たたきを手に目を閉じて、ゆったりした素振りをしてみたら、自分の身体の動きか少しずつ把握できるようになりました。

これを毎晩のように50回続けてたら、ラウンドでのスコアが安定しました。けっこう疲れますが、ぜひお勧めです。
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「上機嫌の作法」斎藤孝著(角川oneテーマ21)

☆ 今年読んだ新書の中で、「上機嫌の作法」斎藤孝著(角川oneテーマ21)がとても面白かったので抜き書きしてみました。元気が出ますよ。

14ページ
私は学生たちに、 「無意味な不機嫌さ、無意味なシャイさが、君たちの成長を妨げているんだ! 」と言ってきました。

38ページ
ふっきるためには、どんな力が推進力となるのか。 3つのタイプをあげてみます。
①断言力
②想像力
③自分を笑い飛ばす力
いずれも、現実に呑み込まれるままにしておかない。状況からいったん身を引き剥がす。そして自己肯定の視点に立つ。自己肯定はできても、他人を受け入れることができなければ自己チューにすぎません。

54ページ
「え……あれ、兄貴ってタバコ変えた? 」と答える。

84ページ
上機嫌力は、訓練によって身に付けるものです。運動と同じで、訓練を続けると、上機嫌の筋力がついて、心の稼働範囲が広がり、上機嫌が生活に占める割合が増えるのです。

101ページ
ジャイアント馬場さん「若い人だったら、いちど休んでも、次の日にまたできる。でも、年齢がいくと、休んでしまったらその次の日にできると限らない。毎日ときめてやれば、必ずできます」

102ページ
人間のの下半身は、気力と体力を生み出す、いわば原動力のようなものです。上半身というのは、柔らかくて外界応答するという役割を担ったいます。下半身気力を担い、上半身はそれを下から吸い上げて柔らかく伝えていく。

108ページ
1つの問題を、グチャグチャグチャグチャとずーっと引きずって、絶対に人を許さないのは、それだけ気持ちに暇があり、その暇を不機嫌につけ込まれているためです。無理矢理上機嫌にやらなければいけない相手を何人もこなしていくと、ネガティブな感情を持続させることができなくなります。

126ページ
ニーチェはゲーテのファンでした。私の私見ですが、ニーチェはキリスト教会が不必要に人々を不機嫌にさせているということに、非常に不満を持っていた。イエスについては、ニーチェは評価しているのですが、協会が、思いっきり笑える状態をなくしているため、人間を卑小なものにしていることに対し大きな不満を持っていました。 「隣人愛」という考え方が、ひがみ根性を助長しているというような主張もみられます。

131ページ
現代の不機嫌は、知性にかける不機嫌ですらなく、鈍感だから不機嫌、社会性が低いから不機嫌なのです。極端な言い方をすると、昔は途轍もなく優秀な人であれば多少の不機嫌が許された。ところが今は、優秀でなくても不機嫌でいいという、野放し状態です。不機嫌に対する社会の取り締まりが弱くなってしまった。せめて気立てぐらい、人柄だけは、気持ちを盛り上げることがなければ、という前提が薄れてしまった。

144ページ
ほどほどの能力の人が不機嫌であれば、まず相手にされません。就職試験にすら通りません。今の時代、疲弊している日本の社会で求められているのは即戦力です。わかりやすい元気です。 「君のその不機嫌の鬱屈したエネルギーを買うよ」と採用されるなんてありえない。つまり基本的に、努めて上機嫌でいることしかないわけです。

148ページ
人間というのはやはり、自己肯定力と自己客観視能力が基本の両輪となって生きていくものです。

120ページ
テンポの速い語りで、どんどん脳味噌をかき混ぜると元気になってくる。ハイテンポは、元気を引き出します。英単語を記憶する時、テンポを上げてやると、効果は高くなります。気分が前向きである方が脳の吸収力が高いのです。

165ページ
小さな努力の積み重ねで、上機嫌は可能になる。それによって、自分の存在意義も肯定される。深刻な不機嫌から如何にシンプルに脱出するか。落ち込みがちな時代だからこそ、物やや薬はできるだけ使わず、手軽に気分をスイッチできる方法、習慣的にできる技をものにしなければなりません。

176ページ
人前で、歌舞伎役所でもアナウンサーでもない私が演じますと、見るほうは、馬鹿馬鹿しいを通り越して何かスッキリしてくるのです。これは非常に重要なことです。「ばかばかしい」とわかっていて、なおかつ突き抜けるところが、知性なのです。私もそうでしたが、不機嫌はくせになります。そして、不機嫌は力になりません。上機嫌な人同士が接触して起こるエネルギーには、膨大な可能性があります。人を前にしたときには上機嫌になる作法身に付ける。その習慣付けによってこそ、コミニケーションが、社会が活性化するのです。

東京オリンピック招致の結界はどうであろうとも。

★ 猪瀬知事の記者会見で、「東京の放射線量は、ニューヨークやロンドンと変わりなく、まったく問題ありません」と述べました。

★ フィンランドでは、電力会社の本社が原発に隣接して建っており、会社経営陣および家族、従業員と家族もその街に住んでいます。1~2号機が稼働中で、3号機も新規稼働予定ですが、市議会と十分に議論を重ね、 25万年年先まで考えて、核廃棄物の処理施設を同じ市内に建設しています。

★ 東京電力には、最低でもこれぐらいの覚悟があって欲しいですね。すみやかに、東京電力は本社を福島に移転すべきです。汚染水問題をうやむやにして、世界の人たちは皆んな知っています。東京オリンピック招致の空騒ぎを。

遅ればせながらFacebookブックの猛勉強中です!

☆ 私は、インターネットの世界に以前から興味を持っていました。しかし、よくわからないこともありFacebookとは縁がありませんでした。それでも、最低限の情報を入力し登録だけはしておきました。自分にはLINEがマッチしていたようで、Facebookは通知メールの多さに辟易しつつ、放置状態にしていました。お友達リストも友人一人と、従姉妹の長男のたった二人でした。

☆ それが、8月の高校時代の還暦同級会で、ただ1人住所の把握できていなかったYくんについて、 Facebookで検索したところ、本名検索ドンぴしゃりで見つかりました。そのあかげで、42年ぶりにYくんと連絡がとれました。ある意味では奇跡かも知れないと驚き、これを機会に勉強していこうと思ったのです。毎日使って、投稿記事や写真を増やしていけば、きっと面白さもわかってくることでしょう。

「大泉エッセイ 」メディアファクトリー社版について

11ページ
飛行機の中でもよく書いた。昔から「水曜どうでしょう」の旅や「パパパパPUFFY」などの収録で東京に行く時など、飛行機の機会は多かったのだ。
全然関係ない話だが、まだ当時は飛行機でタバコガする時代だ。後部の座席では吸えたのだ。今から考えたらありえないことのように思えるが、 16年前は吸えていた。これから読んでいただくのはそんな時代の原稿からである。

30〜31ページ
「とんでもなく汚い部屋だ」
きたない部屋といっても壁がウンコでできていて、床がやはりウンコでできているような部屋という意味ではない。とても散らかっているという意味だ。床には衣類やビデオテープ、鞄などが散乱しており、入り口からベッドまでの足の踏み場だけが、かろうじて確保されていて、それはもう天然のトラップだ。よく部屋に勝手に侵入した母が、足の踏み場を間違えてケガをしている。そして決まってこう叫ぶのだ。
「部屋片付けるまで外に出るんじゃない! 」
… . 26歳の男に言う言葉だろうか。
それにしてもなぜここまで部屋を散らかしてしまうのだろう。
「それで散らかしたつもりかい?それくらいなら簡単に片付けられるさ」
つまり私は、常にこの強い意志を持った自分を試し続けているわけだ。しかし、この強い私はそれらの挑発をものともせず、こう思っているのだ。「散らかすだけ散らかすがいい。いつでも俺は片付けてみせる」と。
なぜ、私の部屋が散らかっているのか、母さん聞いてくれ。それは、俺は男の中の男だからだ。

32〜33ページ
さあ青だ いやもう一度 右左。
んー。…深い。さすがは恒三。この交通標語ともとれる一句。俳句という形式はとらわれず自由に読まれている。
雪道で つるりと滑り 右手折り
これはすごい作品だ! 自らの骨折の体験をここまであっさり詠み上げたのは、恒三だけであろう。家族はどれだけ心配したか。同じような作風だがこういうのもある。
中秋の 名月眺めて ドブに落ち
んー自虐的だ。じいさんの名作はこんなものではない。彼の語らいのシュールさが光る作品が1つある。病気をした次男の嫁に贈った一句だ。
美枝子さん 無理はきんもつ 牛のもつ
……ダジャレだ。
私と家族が笑いながらこれらの作品を読んでいたら、内心何とも言えない気持ちだったのは確かだ。随分話してなかったじいさんと久々に話したような気がした。随分前のことになるが、私の大学卒業にじいはこんな句を残してくれた。
孫の洋 大学卒業 ほっとする
俳句とはいえない気がするけど、私にとっては最高の名句です。じーちゃん。

65ページ
思い出は常に私たちの胸の中に残るのだ。ただ少しずつ姿を変えながら私たちの中に残っていく。楽しかった思い出が、悲しい思い出になったとしても、いつの日にかまた、楽しい思い出になるのかもしれない。なぜなら、その思い出自体は楽しかった出来事なのだから。
しかし、楽しかった思い出を思い出したくない記憶に変えてしまうぐらいなら、現在をがんばるほうがずっといい。大切に積み重ねてきた出来事がつらい思い出に変わらないように。今となってはほろ苦い思い出というのは誰にもあるが、現在のがんばり次第では、将来ほろ苦い思い出になる出来事も、単純に最高の思い出にすることが出来るのだから。

76ページ
「頼る男」と頼られる男」がいる。当たり前のことだが、世の中「頼る男」ばっかりでも、「頼られる男」ばっかりでも、相手がいないんだからそれは「頼られる男」とは言えない。では私はどちらだろうか。もちろん頼る男である。私ほど、とにかく頼る男はいないじゃないだろうか。私は自分の他にもうひとり、人がいればまずその人に頼る。たとえ子供でも、それは仕事においてももちろんそうだ。

117ページ
「いやーあんな大きい建物を、もったいない」
おそらくじーさんには他意はなかったのだろう。率直な感想だったのだが、ガイドさんの顔色が変わった。しかしガイドさんは冷静にキョンボックンの説明を続けたのである。「今の王宮は再建されたもので、元の建物は、豊臣秀吉が朝鮮出兵をした際にほとんどを焼き払ってしまいました」 。これも日本と韓国の悲しい歴史の話だった。が、現代のサムライ恒三の受け取り方は違った。
「いやーこんなとこところまで秀吉が… 。たいしたもんだなぁ! 」
我々家族は、すっかりなまってしまったガイドさんにかける言葉もなく、ただただ笑顔を送っていたのを覚えている。

123ページ
安田くんの荷物が増えているのだ。何やら弁当箱のような、袋に包まれた何かを持っている。しかしそれはよく見ると、パンツに包まれた「人間昆虫記」だったのだ。そう、彼はちゃっかりサウナの短パンを穿いてきてたのだ。そして、それを知り悔しがったのが重だった。 「そんな短パンあったの! 」彼はその存在すら知らなかった。

176ページ
長いことをこの家に住んでいるが、下の座敷になるの初めてだ。じいさんが書斎代わりに使っていた部屋で、今もじいさんが使っていたものがいっぱい置いてある。手紙を書くときに使っていたペンや色鉛筆の入った小箱、詩吟や懐メロのテープを聴いていたラジカセ、寒い時に掛けていたひざ掛け。昔撮ったばあちゃんとの写真や、家族と乾杯している自分の写真。そして何より壁の梁にはじいさんの遺影がある。よくしゃべるじいさんだったので、寝る前には少しうるさい気がした。

181ページ
「水曜どうでしょう」の最後の企画というのは「原付ベトナム縦断1,800キロ」というものでした。「原付」とは「原動機付自転車」のこと。我々が乗るのはもっぱらホンダの「カブ」 。〒さんの乗るアレです。今まで日本は何とか縦断しましたが、海外では初めて。しかも首都ハノイからホーチミンまで1,800キロを走るというのです。

205ページ
2003年の4月4日。私はベトナムにいた。私の30歳の誕生日をファンの皆様と共に祝おうと事務所が企画したツアーである。決して「水曜どうでしょう」の企画ではない。

234ページ
……屋根で猫が泣き出したのである。もう最悪だ。私は世界で一番、盛りのついた猫の鳴き声が嫌いだ。

249ページ
旭川のばあちゃんの家はなかなか行けなかった。だから、久しぶりに会う孫たちには何でもしてあげたかったのだろうなー。いろんなものを僕らにくれた。お小遣いだったり、お菓子だったり。でも私の母はそれが気に入らないようで、いつもばあちゃんに怒ってた。 「かあちゃんやめて」 「いいから母ちゃん」 。仲が悪いのかと思うくらいだった。
何日か泊まって、ばあちゃんの家から帰るその時は、子供ながらに嫌だった。車を見送りに来たばあちゃんは、笑いながらずっと手を振っていた。よたよた車を追いながら、ずーっと手を降り続けていた。 「早く家に入りなさい!」怒りながら窓から叫ぶ母は泣いていて、私も涙が止まらなかった。

288ページ
久しぶりに落ち着いて休みが取れたある日、私も外に出ました。気がつけば季節は春を迎えていました。私はちいちゃんの歩いた道を歩いてみようと思いました。ちいちゃんが毎日のように歩いた道、それはばあちゃんの病院への道でした。ばあちゃんが認知症になってから10年くらい、じいちゃんは私の両親と交代でほぼ毎日病院に通っていました。元々無口のばあちゃんでしたが、病気が進んでからはさらに口数が減り、何を聞いてもほとんど反応はありませんでした。それでもちいちゃんは、ばあちゃんにたくさん話しかけてました。

292ページ
私は北海道の1ローカルタレントであります。加えて野心のない男であります。基本的には北海道で仕事ができればそれで良いと思っていたのです。でもあるとき思ったんですね。
「現状維持でいいと思った男に現状維持ができるのか」と。漠然とした不安でした。前に進もうと必死に頑張った奴だけが、やっと現状維持できるのかなと思うようになりましたね。
誰かが言いました。「世の中は変化だけが不便だ」と。何事も変わっていくのです。そうなると大事なことは、 「その時何を信じて生きているか」ということ、そしてもう一つ、「信じるものをどれだけあっさり見直せるか」ということだと思うのです。その方が人生は何倍も楽しいと思うのです。

344ページ
子供を育てるのは当たり前でもう、どれだけ子供のために自分を犠牲にして育てるかは違うと思う。私が自分の娘日文の全てをかけて育てようと思えるのは、私の両親がまさにそうしてくれたからだ。その連鎖が切れた時、悲しい出来事が起こるのだろう。
思い返せば、私の両親は私の身近な選択を常に否定しなかった。常に応援してくれた。

「風立ちぬ」の広告ができるまで

昨夜のMHK、スタジオジブリの鈴木プロデューサーが語った言葉に感銘を受けました。

・頑張る必要はなくて、才能出して。
・話し相手ってすごく大事。
・仕事はひとりでしない。
・ひとりでは何も生み出せない。
・宮崎駿はありとあらゆる人の話を聞く。
・宮崎駿の凶暴なまでの情熱が世界中を荒れ狂っ。

そして、鈴木プロデューサーが広告を依頼したお笑いコンビ・オリエンタルラジオのアッちゃんが見つけた言葉「天才から巨匠、そして人間」という言葉にも感動しました。
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水元正介

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