07 * 2008/08 * 09
S M T W T F S
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31 - - - - - -
02/08
FATHER('2001/2/19)−by水元正介
8389.jpg

* 働き盛りの父の古き写真である。

▼  私は以前「水葬の現代的な意義」を考えてみたが、2000年7月31日の朝日新聞「おやじのせなか」で、辺見庸氏が次のようなことを書いていた。辺見さんの父は1999年4月に亡くなったが、「骨の一部、ずっと持っていたんだけど、この春、隅田川に流した」そうである。そして、「桜吹雪の日に、言問橋か らね。父の最高の思い出は大学のボート部だったこと。隅田川で練習していたから、骨も喜んだと思うんだ。骨なんぞ、いつまでも持っているの、未練たらしい だろ、すっきりしたよ。おやじもすっきりしただろうな。」
 それから、2000年8月8日の朝日新聞「君たちに伝えたいこと」の中で、作家のヤン・ソギルさんは、「大人になるにしたがって、人生は複雑になり、記 憶は錯綜してきます。自分にとって都合の悪いことは忘れ、ときには無意識に捏造したりもしますが、少年の頃の記憶は好奇心に満ちた純粋さの中でつちかわれ 記憶の原点になるからでしょう。それは傷つきやすく壊れやすい感性の
うずきでもあります。」と語っていた。

▼ 続けて、ヤンさんは「その傷つきやすく壊れやすい感性を傍若無人に容赦なく、踏みにじる存在が父でした。父は暴力による恐怖を家族の心と身体に刻印することで、自分の存在を誇示しようとしたのです。人は誰しも自分の存在を認めてもらいたいという強い欲求を、父は暴力でしか表現できなかったのです。」と述べている。
 戦地から引き揚げてきた私の父は、ヤンさんの父に似ているところがあり、子ども心にはとても怖くて、ある意味では凶暴に見える存在でもあった。しかし、年を経るごとにおだやかになり、今年で80歳になった。
 自分が40歳を過ぎ50歳に近づいている今、父が50歳のときはどうしていたのか、何を思っていたのだろうかなどについて、ふと脳裏をよぎることがある。
 そして、田舎で暮らす父や亡き母の面影が浮かぶことも多くなったが、父親に対する想いはどうにも言葉にならないというのが現状である。多分、辺見さんやヤンさんのように父を亡くして、ある程度の時間を経過しなければまともに対面できないものなのかも知れない。

▼ 父の強烈な記憶は、母の存在をなおさら際だたせるものだ。ヤンさんは、「中学生になったとき、私は急に大人になった気がして、鏡の中の制服を着た自分の姿に強い責任感を覚えたものです。具体的な目標はなかったものの、何ものかになろうという意識だったと思います。それは父に対する挑戦であり、母の愛情にむくいたいという思いでした。」と書いている。
 時代的な背景もあるのだろうが、私の場合も同様の気持ちを持っていた時期があったし、「なぜ歳を取るにしたがって少年の頃を思い出すのでしょうか。それは少年の頃の自意識と現在の自意識が重なってくるからではないでしょうか。いま私は亡くなった父や母や姉のことを考えます。そしてこう思うようになりました。私にとって父という存在は父以外の何ものでもなかったし、母もまた母以外のなにものもなかった。この自明の理を64歳にしてようやくわかってき たのです。」という感慨にも深く共感できるのだ。
 少年犯罪や教育論とも関連し、父権の失墜、家族の絆などの重要性も指摘されているが、ちょっと照れくさくて、切なくもあり、かなりやっかいな「父」という存在を各人が心の中できちんと消化していける力を持つこと、それが今日的には案外貴重な作業なのかも知れないと思っている。
この記事へのコメント

管理者にだけ表示を許可する
 

この記事のトラックバック
TB*URL

Copyright © 2005 水元正介アーカイブ.
all rights reserved.